論理の国語

中学受験のことや、国語に関する様々なことを書いていこうと思います。中学受験を目指すご家庭や指導関係者の参考にになれば幸いです。

雑談(懐かしの先生③)

今回は高校時代の先生を振り返ってみたいと思います。
1番印象に残っているのは3年生の時の担任のB先生です。私の中では悪い意味で印象に残っているのですが、今回はあえてその先生について書きたいと思います


B先生は天然パーマの頭髪で優しそうな小さな目をしており、小柄で物腰も柔らかく一見するととても良い人そうな感じの政治・経済担当の30代の男性教諭でした。


「昨今の教育現場⑥」の記事で、公立高校の進学校のゆるい受験指導体制を書きましたが、その中でもB先生の考え方には理解しがたいところがありました。


B先生の政治・経済の授業は大半の生徒にとって受験とは関わりのないものでしたが、自由研究の課題を与え授業内で生徒各自に発表させるという、生徒に労力のかかる指導をしていました。


また、学校で高校3年生には自由参加が許されていた文化祭や体育祭等の学校行事を、「思い出づくり」と称してクラス全員参加を強制し、準備期間も含めて生徒に時間を割かせました。


極めつけは、「良い経験になる」ということで夏休みに1か月間海外に行き、ボランティアで土木作業をしようとクラスの生徒を誘ったことです。当然、1人も参加しなかったのですが、夏休み明けの2学期に参加者がいなくて残念だったという旨の話をされていました。


たしかにボランティアをするのは素晴らしいことだと思います。しかし、高校1年生や2年生を誘うのならまだわかりますが、受験学年の高校3年生を誘うのは理解できませんでした。受験については生徒任せで学校の先生は趣味の延長のような授業をしながら、受験に足かせとなることを平気でしようとする無責任さはいまだに理解できません。


わたしは、変わった先生は好きなのですが、根底には相手の立場や想いを考えることが必要だと思うので、思いやりのないええかっこしいは、ただの偽善者にしか見えず好きになれませんでした


高校時代の私は運動部に所属し体だけはしっかり鍛えていましたが、頭の方はあまり鍛えておらず高校3年生になって徐々に受験の厳しさが分かりだしました。ネットの無い時代です。一部の高校1、2年生から予備校に通っていた生徒はともかく、それ以外の生徒は大概こんなものでした。


高校で習っている勉強と現実の入試問題とのギャップに驚き、どうしようかと同じような仲間とよく相談したものです。中には情報通の友人もいて、良い問題集や参考書を教えてくれたので、できる範囲でしていましたが大変でした。


そういうこともあり、相手のことを考えない指導はいけないことだと思いましたし、今もそうならないように自戒しています。そんな考えを抱けるようになったという意味ではB先生との出会いも決して無駄ではなく、良い経験だったのではないかと今では思えます


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雑談(懐かしの先生②)

今回は中学時代の先生を振り返ってみたいと思います。
中学時代で1番印象深いのは2年生の時の担任だった体育教師のA先生です


外見は体育教師らしくスポーツ刈りの髪型なんだけど、優しそうな雰囲気のオジサンといった感じで、背は低く少し小太りな体型をしていました。それで、生徒たちにドラえもんと呼ばれていたのですが、若いころはやんちゃでボクシングをしていたこともありケンカは強かったそうです。


そんなA先生が週に1回のホームルームの時間に自分が今読んでいる小説の話を、毎回少しずつ話してくれました。まるで幼子にする読み聞かせのようなものなのですが、内容は大人のものでした


読んでいた小説が西村寿行さんのもので、タイトルは忘れましたが、孤児の女の子が山で仙人と呼ばれる変わった男に育てられ、特殊な身体能力を持つ鬼女と呼ばれる犯罪者に成長し、棒術を使う主人公の刑事と戦うといったストーリーだったと思います。


西村寿行さんの作品はハードボイルドものなのですが、随所にお色気シーンが満載されており、A先生はお色気シーンになると「ここは、みんなには言えない場面やなぁ~」と言いながらいやらしそうに「むふふふふっ」と微笑むのが生徒の笑いを誘っていました。


笑いを抜きにしても、A先生の話す小説のストーリーが面白いとみんなの評判になり、その小説を自分で買って読む生徒や、他の推理小説を読み始める生徒がいました。私もその内の1人でした。A先生は意図していたかどうかは定かではありませんが、読み聞かせの効果は十分にあったということですね


当時の大阪の公立の中学校は今では考えられないくらい大変荒れており、不良生徒の吹き溜まりでした。元ボクサーのA先生もご苦労が多かったみたいで、よく胃が痛いとおっしゃっていました。


しかし、それも今では懐かしい思い出です。読書の楽しみを再確認させてもらったことを感謝しています。


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雑談(懐かしの先生①)

過去にお世話になった素敵な先生たちを振り返りたいと思います。まず、小学校時代の6年生担任のS先生について書きます


S先生は当時20代後半の女性教諭でした。


外見はショートカットで宝塚歌劇団の男役を思わせる凛々しいマスクをしていて、スポーツも万能でソフトボールの球をすごい速さで投げていました。さらに、小学校の先生になる前は、選挙演説カーのウグイス嬢や、刑務所の刑務官といった珍しい仕事の経歴を持つ人でした。


この先生は普段はおもしろいのですが、叱る時は反抗的な男子生徒を投げ飛ばすことも辞さない迫力があり、大変怖かったのです。そのへんの男性教諭よりも強く、ずっとしっかりしていたと思います。


今振り返ってみると私はこの先生の影響をずいぶん受けているように思います。特に、雑談の効果とメリハリのある指導について学ばせて貰ったように感じます


授業の合間に雑談をされる先生は多いのですが、ほぼ息抜きが目的でしょう。しかし、このS先生にはプラスアルファがあったように思います。


S先生の雑談のネタは自分の体験談であり、様々な体験をしてきた?S先生の語る話はとても生き生きとしていました。そして、その話の中で語られる過去の世相や一般教養などを子供たちは学ぶのです。勉強嫌いの子供でも雑談になると目を輝かせ、こまかいことまで覚えているのです。子供とはそういうものなのです。


また、メリハリの利いた指導。普段のおもしろい感じから叱る時の怖さのギャップは絶妙でした。厳しく叱るということは、裏を返せば相手のことを真剣に考えているということでもあります。


また、S先生は生徒たちに大きな愛情をもっていたように思います。それが証拠に、定期的に勉強やスポーツで目立たない子供にもいいところを見つけてみんなの前で表彰する機会を作っていましたから。私の場合は、勉強やスポーツもそこそこできたのですが(汗)、よく作文が上手いと褒めてくださいました。


当時のS先生はまだ若手の部類であり、保護者からは特に人気があったわけでもなく、良い先生という評判も特になかったと思うのですが、今から考えてみてもめったにいないぐらい素晴らしい先生だったと思います。お元気にされているのでしょうか。その節は大変お世話になりました


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