論理の国語

中学受験のことや、国語に関する様々なことを書いていこうと思います。中学受験を目指すご家庭や指導関係者の参考にになれば幸いです。

雑談(昨今の教育現場④)

前回は塾での指導がスパルタから保護者迎合型へと極端に移り変わっていることを書きました。もちろんこの変化は公教育の現場である学校でも同様に変化しています。


かつての学校でも宿題忘れや授業に集中しない等の理由でビンタをされたり出席簿の角で頭をこづいたりされました


ビンタで思い出すのは、女性の先生のビンタが意外と痛かったということです。男性より力は弱いのですが、少し爪が長かったりしますし、しかも頬っぺたの中央から少しずれた鼻などに指が当たったりするので、かなり痛かったのです。


ビンタをする女性教諭はビンタをした後によくこう言ったものです。
「あなたたちも痛いかもしれないけど、先生の手の方が痛いのよ」‥‥当時の私はそんなはずはないだろうと心の中でつっこんでいました(笑)


また、出席簿の角の固いところで上手く頭をこづくやり方は穏やかな先生に多かったのですが、場外乱闘での悪役レスラーのイス攻撃みたいで、傍で見ていると面白かった記憶があります。


当時の先生は、こういった体罰で生徒に宿題をさせたり、しつけたりしていた訳ですね。大人になった私にとって今では良い思い出で、上手にすればこれはこれでいいのではとも思うのですが、やはり行き過ぎると危険なのであまり良くはないと思います。


しかしだからと言って、廊下に立たせたり、激しい口調でしかりつけるのも体罰だという今の風潮には違和感があります。


子供は今も昔もいたずら心でちょっと悪いことをすることはあるでしょう。その時大人にしかってもらい成長していくものだと思います。子供を大人扱いしておだやかに注意するだけではいけません。子供のためを思うなら、もっと真剣にしかってあげるべきだと思います


公教育の現場では、昔に比べて子供たちをしつけにくく、塾よりももっと指導しづらい状況になっているのではないでしょうか。


お手数ですがやる気スイッチお願いします★
  ↓

雑談(昨今の教育現場③)

昔と今の塾事情の続きです。
体罰も含めたスパルタ指導をしていた昔に対して、今では体罰どころかきつい口調で叱ることもいけないという風潮になっています


今も昔も落ち着きのない子供や、先生の言うことになかなか従わない子供はいます。一対一の個別指導なら相手に合わせることも可能でしょうが、集団授業になると個々の生徒に好き勝手させるわけにもいきません。


注意しても私語をやめない生徒に対して優しい口調で叱っても、はたして効果はあるのでしょうか?当然ないでしょう。


やはり、きつく𠮟るなり、席を目立たない後ろの席に移動させるなりすべきです。本人も悪いことをしている自覚はあるので、その場はふくれたり納得しなかったりするかもしれませんが、時間がたつとケロッとしたものです。


いけないことをしている生徒には大人として決然と対処すべきです。いけないことはいけないことだと分からせねばなりません。それが本人のためでもあり先生の務めだと考えます


ところが、保護者のクレームを恐れ、生徒がいけないことをしてもろくに注意もせず放任する指導者がいます。背景には、塾が子供を育てるというよりは教育産業ビジネスに重点を置き、お客様(保護者)に苦情を言われるのを極端に恐れていることがあると思います。


これではいけません。仮にクレームがあったとしても現場の事情や教育に対する考え方を述べて理解していただけるようにすればいいのであり、それでも保護者が理解できないと言うのであれば考え方が合わないことなので、縁がなかったとしてもやむを得ないことだと考えます。


指導のプロとしての考えを保護者に伝え、理解していただくようにするのも塾の大切な仕事です。だから、必要以上に保護者に迎合するべきではないと考えます


昔はスパルタ指導が流行っていた塾業界も、今では保護者に迎合しがちな指導になってきてます。いずれにしても、極端なのはいけませんよねぇ。


お手数ですがやる気スイッチお願いします★
  ↓

雑談(昨今の教育現場②)

前回は社会の変化に伴う学校教育の凋落について考えを述べましたが、当然塾業界も社会の変化の影響を受けています。今回は昔と今の塾事情について述べたいと思います。


私が子供の頃(30~40年前)の塾業界ではスパルタ塾が大流行していました


例えば、塾のチラシで宿題を忘れた者にビンタをしたという先生の日誌を写真にして掲載したものがありました。
また、各教室に竹刀を常備しており、授業で生徒をたたくことで一日でボロボロになり、毎日新品の竹刀と取り換えていました。
さらに、授業中に注意されても私語をやめない生徒にビンタや腹をけるなどをし、結果鼓膜が破れるという事態になったできごとを目の前で見たこともあります。ちなみに、鼓膜が破れた彼は、翌日耳に綿を詰めて元気に塾に来ていました。


これらのことは、今ならクレームどころか社会問題に発展しかねませんよね。子供の心境としてはもちろん怖いのは嫌でした。しかし、体罰も含めた厳しい指導を当時の保護者は望んでいたのです。


なぜなら、言うことを聞かない子供でも、勉強しないととんでもないことになるという恐怖心を利用して勉強させることで成果が出ますから。また、「可愛い子には旅をさせよ」というわけで厳しい環境の方が子供のためになるという考えもあったのでしょう。


私は何も体罰を含めたスパルタ指導が良かったと言いたいのではありません。一歩間違えると行き過ぎた指導になる可能性が高いと思いますし、できれば子供の興味をひいて自発的に学習させるのが理想だと思いますから。


しかし、このスパルタ指導が支持された要因はしっかりと考える値打ちがあるのではないかと思うのです。


長くなりましたので、次回に続きます。


お手数ですがやる気スイッチお願いします★
  ↓