論理の国語

中学受験のことや、国語に関する様々なことを書いていこうと思います。中学受験を目指すご家庭や指導関係者の参考にになれば幸いです。

雑談(懐かしの生徒たち⑤)

今回は国語の成績が悪い校舎にテコ入れで転勤させられた時のお話をしたいと思います。


その校舎の6年生でトップの成績だったMくんという男子生徒がいました。


彼はお公家さんのような風貌で「ホホホホホッ~~!」とこれまた平安貴族のような笑い方をする少年で、成績は国語以外は抜群によくできていました。国語の成績はテストの度に偏差値で20ぐらい上下する状態です。つまり、安定していませんでした


彼の授業中の出来具合やテストの結果から考えると、素材文が簡単な時は結果が良いが素材文が難しくなるととたんに結果が悪くなっていました。彼は文章をサラッと読んでいたのですが、しっかりとした読み方が身についていなかったのです


同じクラスの他の男子生徒にも同じような傾向が複数見られました。そこで、6年生の上位クラスでしたが、わたしは文章の読み方を中心に授業をすすめたのです


授業では問題が解けて正解していても文章の内容が分からない者は国語の実力がない者だと言い、逆に問題が不正解でも文章の内容を分かっている者は実力があるとほめたのです。


次第にMくんをはじめ文章を読めなかった生徒たちも本気で読み方を意識し始め、少しずつしっかりとした読み方ができるようになり、それにともなって国語の成績が向上してきました


クラスの上位の生徒は大阪や奈良の最難関中学校を目標にしていましたが、Mくん以外はとても無理な状態だったのですが、国語の成績が良くなってきたことで他の生徒にも希望が見え始めてきました。


さて、受験シーズンに近くなり、国語の最後の通常授業で関西最難関のN中学校の2日目の長文問題(詩を除いて100点満点にわたしが作り替えたもの)の比較的易しい年度のものを学校名を消して演習させました(この塾では授業担当者の判断で演習する入試問題を選べました)。この学校の受験者はいないのですが、受験本番前に自信をつけてもらうために実施したのです。


演習後採点し、クラスの生徒各自に点数を言ってもらうのですが、予想通り平均して7割以上取れていました。生徒たちも特に難しくなく普通の難しさだと感想を言っていました。そこで、わたしが学校名を生徒たちに伝えると、みんな目を輝かせ静かに笑うのです。Mくんも自信に満ちた表情で微笑んでいました


そして、Mくんは大阪と奈良の最難関中学校両方に受かりました。同じようにMくん以外の4名の男子生徒が両方受かったのです。Mくんだけは、よりレベルの高い奈良ではなく大阪の学校に進学したのです。理由は家から近いからというものでした。他の生徒も実力を発揮して合格を勝ち取ってくれ予想よりずっといい結果が出ました。


今回はなんかわたしの自慢話みたいにもなりましたが、やんちゃな生徒をしつける話を今まで多くしており、どれだけ怖い先生だったんだと誤解されそうなので、この話にしました(笑)


また、ほとんどの生徒が国語を弱点にしていて、それを克服し良い結果を出したのですが、逆に言うと他の教科がしっかりできていたので国語の勉強に集中できたとも言えることをつけ加えておきます


お手数ですがやる気スイッチお願いします★
  ↓

雑談(懐かしの生徒たち④)

やんちゃな生徒が続いているので今回はタイプの違うおとなしい6年生女子生徒のTさんについて書きたいと思います。


彼女は塾ではおとなしく授業中も指名しなければ発言もしない何事も受け身と言った感じの生徒でした。保護者によると家ではのんびりして受験生といった感じがしないとのことでした。ただ、彼女の第1志望の学校が成績から考えて少し厳しかったので、保護者には夏休み明けのテストで、あるラインに向けて勉強し、もし達しなければ第2志望の学校の受験を考えるように話をしていました。


Tさんは夏休み明けのテストでわたしが示したラインには遠く及びませんでした。そこで、保護者には第2志望の学校を勧めたのですが、本人がどうしても第1志望の学校を受けたいと泣きながら保護者に訴えるらしく、保護者は第1志望の学校を受けさせてあげるわけにはいかないかとわたしに相談してきました


わたしは彼女の担任として冷静に客観的に判断しなければいけない立場でした。保護者の世間体や生徒の感情で無理な志望校を望むことはよくあることです。しかし、高望みした志望校に落とされ公立に進学し、再度高校受験をするのだけはどうしても避けたかったのです。保護者が塾に通わせたことや生徒の労力が無駄になり、そしてなにより中高一貫教育のメリットを受けられないからです。


ただこの時は保護者や生徒の様子から、世間体やわがままで言っているのではないようだったので冬のテストの結果を見て考えることにしました。


それからの彼女の様子を見ていたのですが一変しました。授業での目つき、休み時間や自習室での自主的な勉強など、とにかく目の色を変えて取り組むようになりました。受け身ではなく能動的に勉強するようになったのです


そして、冬のテストでは第1志望校の合格圏内には至りませんでしたが、かなり成績が上昇しており、彼女の普段の姿勢も見ているので、すべり止めの学校を受験することを条件に第1志望校の受験を保護者と確認しました。


担任のわたしからゴーサインが出たこと知った本人はとても喜んでいたそうで、その後も能動的な学習姿勢を崩さず見事第1志望の学校に合格して進学していきました


彼女のことを思い出すと、学力をつける一番の要因は、やはり本人のやる気なんだなと感じます。本気になった受験生の目の色は違うのです。受け身の勉強と能動的な勉強では成果に大きな違いがあることを教えてくれたできごとでした


お手数ですがやる気スイッチお願いします★
  ↓

雑談(懐かしの生徒たち③)

今回は幼い系のやんちゃな6年生男子生徒Oくんについて書きたいと思います。


彼は最上位クラスに在籍していましたが、クラス内での成績はかなり下のほうでした。見た目は林家こぶ平(今は9代目林家正藏)に似た可愛らしい男の子でしたが、やんちゃな男子生徒が多いクラスの中でも特にやんちゃでした。


わたしが担当した当初、授業中に反抗的なことを言うので注意すると大声を出して猛抗議します。わたしも大声を出してしかると机の下にもぐって抗議を続けます。クラスの生徒は大爆笑していますが、しつけをしている時期でもあり、こんな悪ふざけを許すわけにはいかないので彼を机の下から引きずり出し廊下に連れ出し説教すると彼は泣きわめきました。


わたしとOくんのやり取りを見て最初面白がって見ていたクラスの生徒たちも、教室から引きずりだされて説教をされて泣くOくんの姿を見て水を打ったように静まり返ったのを覚えています。


このようなOくんの子供らしいわがままがたまに爆発するので、その度にわたしにしかられ泣いていたように思います。当時のOくんの口癖は「どうせ、俺が悪いんやろぅ~」でした


そのうち気づくとわたしは妙にOくんになつかれ、いつもわたしにまとわりつくようになっていったのです


さて、いよいよ受験シーズンになりました。Oくんの第1志望は難関男子校だったのですが、実力的には厳しかったので前受験(練習)で他県の難関校を先に受けて、その合否を見て不合格なら第2志望の大学付属校を受けることにしていたのです。


そして、Oくんは前受験で不合格になりました。精神的にもろいところもあり本番の受験をしたくないと言い出しましたが、わたしも保護者とともに説得し第2志望の大学付属校を受験して合格し、進学したのです


それから数年後、わたしが仕事中に校舎を移動するため電車に乗って座席に座っていた時のことです。向かいの座席に座っているごつい体格の青年がわたしの方を見ながらニヤニヤしているのです。「うわぁ~なんか変な人がいるなぁ。絶対にむこうを見たらあかんわぁ‥」と内心思っていました。


わたしが電車を降りてホームに出るとその青年もホームに出て近づいて来るではありませんか!「な、なんやねん‥」と思いながら青年のほうを見ると「先生、ひさしぶりやなぁ~」と野太い声がするのでした。よく青年の顔を見てみるとOくんの面影があります。Oくんとの再会でした。


彼は大学付属校なので部活動に専念し高校でレスリングをしているとのことでした。電車内で早くにわたしに気づいていたようなのに、なぜすぐ声をかけなかったのか尋ねると「先生がいつ気づくか見ててん。でも、気づかず仕方ないからこっちから声をかけてん」とのこと。おかげで少し怖い思いをしたよ、Oくん(笑)


お手数ですがやる気スイッチお願いします★
  ↓