論理の国語

中学受験のことや、国語に関する様々なことを書いていこうと思います。中学受験を目指すご家庭や指導関係者の参考にになれば幸いです。

雑談(おとぎ話と教訓)⑤

今回は、9世紀後半から10世紀前半頃に成立した日本最古の物語と言われるかぐや姫(竹取物語)の教訓を考えてみたいと思います。


かぐや姫(竹取物語)のあらすじ


【竹取の翁と呼ばれるお爺さんが、山に竹を切りに行き光り輝く竹をみつけた。筒の中には三寸ばかりの可愛らしい女の子がいたので、お爺さんは、その娘を家に連れて帰り育てることにした。やがて三ヶ月ほどで女の子は成人する程に成長し「なよ竹のかぐや姫」と名づけられる。


かぐや姫の美しさは、周囲に広まり男達が毎日のように覗きに来た。噂を聞きつけた五人の貴族も求婚に訪れるが、かぐや姫は、入手が困難な(この世に存在しない)宝を持ってきた人に仕えると話す。結局、この難題をこなした者は誰一人としていなかった。この噂は帝の耳にも届き、帝も求婚にやって来るようになる。


それから三年が過ぎた頃、かぐや姫は月を観ながら悲しい表情を浮かべ、もうすぐ月からお迎えが来ることを翁に話す。帝は月の使者たちから、かぐや姫を守ろうと二千人の兵士を派遣するが、月の使者の前では無力でかぐや姫は連れ去られて月へ帰っていた。


後日談で、かぐや姫が月に帰る際、翁や帝に残していった「薬の壺」のエピソードが語られている。帝は貰った不死の薬を、「かぐや姫に会えないのなら、不老不死の薬も意味がない」として、天に最も近い山で燃やすよう命じた。この山が後の富士山である。】


かぐや姫の話は、月の姫が地球である期間を過ごして故郷の月に帰っていくお話の形をとったファンタジーですが、貴族や帝など多くの男性から求婚されるがついには誰とも結婚していません。


ここから教訓が見えてきます。好きでもない興味もない相手から求婚された場合、はっきり断ると相手に不快な想いをさせたり傷つけてしまったりする場合があります。さらに相手が権力者だった場合は、自分や自分の家族に災いを招く可能性すらあります。


だから、断りたい場合は相手に無理難題を持ちかけたり手の届かない遠い場所に行くことであきらめるように仕向けるという方便が教訓になるのではないでしょうか。


最近の女性はハッキリ自分の意思を示す人が多いと思いますが、少し前までは「私にはあなたはもったいない」等の婉曲な言い方でお断りするのが主流でした。これは、相手を気遣うと同時に波風を立てずに自分を守る言い方でもあるのです。


このような教訓は女の子が生きていくうえで知恵となるかもしれませんし、ストレートな気性の男の子は、女性の婉曲な表現を学ぶことが大変勉強になると思います。ストレートな気性の男の子が恋愛系の物語文読解を苦手とする理由の1つが、女の子の婉曲表現を理解できないことにあるからです


ちなみに、かぐや姫には実はモデルとされる人がいるそうです。垂仁天皇の妃である「迦具夜比売命」(かぐやひめのみこと)がその人だと言われています。おそらく大変美しく、多くの男性から求婚されたのではないでしょうか?


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雑談(おとぎ話と教訓)④

今回は、一見教訓は分かりやすそうだが、よく考えると教訓が分からなくなる浦島太郎について書きたいと思います。


浦島太郎のあらすじ(wikipedia参照)


【漁師の浦島太郎は、子供達が亀をいじめているところに遭遇する。太郎が亀を助けると、亀は礼として太郎を海の中の竜宮城に招く。竜宮城では乙姫が太郎を歓待する。しばらくして太郎が帰る意思を伝えると、乙姫は「決して開けてはならない」としつつ玉手箱を渡す。


太郎が亀に連れられ浜に帰ると、太郎が知っている人は誰もいない。太郎が玉手箱を開けると、中から煙が発生し、煙を浴びた太郎は老人の姿に変化する。浦島太郎が竜宮城で過ごした日々は数日だったが、地上では随分長い年月が経っていた。】


このおとぎ話の原型はなんと8世紀に成立した日本書紀にも記述されています。日本の古くからの伝承・昔話なので元々教訓を伝えるものではなかったのでしょう


あえて教訓を考えると、前半部分では亀を助けてお礼として竜宮城で歓待されるわけですから、良いことをすると良いことがあるというよくある教訓になるでしょう。


しかし、後半部分では、浜に帰って来ると長い年月が経っていたため、誰も知っている人はおらず、玉手箱を開けると実際の時間通りに老人になってしまいます。


ややもすると、玉手箱を開けるなという約束を破ったために老人になってしまうという悪い結果を招いたので、約束を破ってはいけないという教訓なのかと考えてしまいそうになりますが、玉手箱を開けなくても誰も知っている人のいない未来に一人ぼっちになるわけですから、これはこれで困った状況です。


また、そもそも開けると老人になってしまう玉手箱をわざわざ恩人に渡すのもおかしな話ですね。


話全体として教訓を考えると、行いに対して過大なお礼をほどこされた時は用心しなければならない、または、楽しく遊んでばかりいるとなにもかも失ってしまう、あるいは、亀がしゃべったり海の中のお城でお礼をするというような人智を超えた存在には近づいてはならないというところが、教訓として妥当なのではないかと考えます


ちなみに、この話は室町時代以降では浦島太郎は最後に鶴になり乙姫と夫婦になるという結末が加わる変形版があるそうで、これだと浦島太郎が救われる話であり、亀を助けることが発端となる物語の因果関係としてつじつまが合うように思います。


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雑談(おとぎ話と教訓)③

わたしが子供の頃におとぎ話を読んで初めて教訓が分からないと思ったのは人魚姫です。


人魚姫のあらすじ(wikipedia参照)


【人魚の姉妹の末の娘は誕生日に昇っていった海の上で、船の上にいる美しい人間の王子を目にする。嵐に遭い難破した船から王子を救い出した人魚姫は、王子に恋心を抱く。その後偶然浜を通りがかった娘が王子を見つけて介抱した為、人魚姫は出る幕が無くなってしまう。


人魚姫は海の魔女の家を訪れ、声と引き換えに尻尾を人間の足に変える飲み薬を貰う。その時に、「もし王子に愛を貰うことが出来なければ、姫は海の泡となって消えてしまう」と警告を受ける。更に人間の足だと歩く度にナイフで抉られるような痛みを感じるとも。薬を飲み、王子と一緒に御殿で暮らせるようになった人魚姫であったが、声を失った人魚姫は王子を救った出来事を話せず、王子は人魚姫が命の恩人だと気付かない。


そのうちに事実は捻じ曲がり、王子は偶然浜を通りかかった娘を命の恩人と勘違いしてしまい、その娘との結婚が決まる。悲嘆に暮れる人魚姫の前に現れた姫の姉たちが、髪と引き換えに海の魔女に貰った短剣を差し出し、王子の流した血で人魚の姿に戻れるという魔女の伝言を伝える。人魚姫は愛する王子を殺せずに死を選び、海に身を投げて泡に姿を変えた。そして、人魚姫は空気の精となり天国へ昇っていったが、王子はその事に気付く事はなかった。】


人魚姫は嵐に会った王子を助けるという良い行いをしたにも関わらず、王子に近づくために声と尻尾を失い、代りに歩くと痛みをともなう人間の足を手に入れ、さらには命まで失ってしまうわけですね。


これを読んだ時は、良いことをした者が悲惨な結果に終わることに驚きました。それまで読んだおとぎ話とは真逆だと感じました。人魚姫の恋が成就しないことは仕方ないにしても、死ぬことになるなんてひどい話だと、子供心に読み終わった後に切ない気持ちになったものです


子供の時には分からなかった教訓ですが、大人になってこの話の教訓を再び考える機会があり、その時に考えたことは、この話が書かれたのは今から200年以上も前だということです。だから、現代の感覚で考えると教訓が分からないが、昔の時代背景を考えると教訓が分かるのではないかと思いました。


200年前と言えば日本では江戸時代です。人魚姫はヨーロッパの作品ですが、ヨーロッパでも日本の江戸時代と同じように貴族や平民といった身分社会が色濃く残っていたはずだと思い当りました。


つまり、人魚姫とは人魚と人間という身分違いの恋をしてしまったために起こった悲劇を表現した作品なのではないのかと思ったのです。教訓は「身分違いの恋を戒める」ものなのではないかと


ところが、wikipediaによると、【どこまでも純粋に王子を愛しながらも、報われなかった人魚姫の悲しい恋の物語は、失恋を繰り返し、ついには生涯を独身で通したアンデルセンの、苦い思いが投影されていると言われている】だそうで、どうも無償の愛がテーマのようですね‥‥


昔は身分があって自由に恋愛できなかったと説明する方が、この救いようのない物語の悲しみを幾分でも和らげることができるように思うので、もし子供に人魚姫の教訓を話す機会があれば自分の解釈を話したいと思ってしまいます。


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