雑談(おとぎ話と教訓)①
先日、中学受験の説明文の素材文としてよく扱われる外山滋比古さんの、「ことばの四季」という文章を拝見していると、赤ちゃんが最初に覚えるのが「母乳語」であり、次に覚えるのが「離乳語」であると書かれていました。
「母乳語」というのは、見たりさわったりできる具体的なものの名前が中心であると説明されていました。「おむつ」「ワンワン」「ブーブー」などですね。
しかし、「母乳語」だけでは人間らしい活動ができないので抽象的でウソをも含む「離乳語」を覚える必要があり、その「離乳語」は考える道具になるため「離乳語」は大切であり、小学校に入学するまでに学ばせる必要があると主張されていました。
そして、「離乳語」を学ばせる手段として昔からおとぎ話を聞かせてきたのであり、超現実的な話、いわばウソの話を聞くことで、子供は言葉とは必ずしも事物の裏付をもっているとは限らないことを察知するようになると説明されていました。
この文章を読み、おとぎ話を子供に聞かせることがどれだけ大切なことなのかを再認識しました。
わたしの場合も自分の子供の頃を振り返ってみると、おとぎ話を母親から聞いたり、絵本で読んだり、また有名なおとぎ話を収めたレコード全集を聞いたりして、楽しんだ思い出があります。
子供は大人と違い、同じ話を何度も飽きずに聞き、イメージをふくらませ、そのイメージの世界を楽しみます。こういった行為が言葉を理解するうえでとても重要なんですね。
また、おとぎ話は子供に聞かせる話だからなのか多くの場合、道徳的な教訓が含まれています。そのことは、子供心にもなんとなく気づいていましたが、分かりやすい教訓を含む話と分かりにくい教訓を含む話があることも同時に感じていました。
そこで、次回から有名ないくつかのおとぎ話を例に挙げて教訓を考えていきたいと思います。
お手数ですがやる気スイッチお願いします★
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